菜食生活について
私は今現在、いわゆるveganと呼ばれる食生活をほぼほぼ、している。
vegan「ヴィーガン」の食生活とは、肉・魚・卵・乳製品などの動物性食材を摂取しないスタイルのこと。
健康のため、動物に対する考え方、宗教上の理由など、世界中には色んな価値観をもってveganを選ぶ方達がいる。
ほぼほぼ、というのは
たまに外食する時に、うどんや蕎麦の鰹出汁などは普通においしく食べたり、
牛乳や卵が含まれるお菓子を研究的視点で食べることもある。
富山のおばあちゃん家に行けば、一緒に魚を買って食べる。
そして月に一度卵を買って私だけ食べている。
ただ外食は滅多になく、
私用の卵以外は動物性の食材は置かないから、野菜料理の自炊と研究に勤しんでほぼほぼveganのような食生活。
今回は、何故私がこの食生活を選んだのかというお話。
きっかけ
4年前に、veganやベジタリアンというワードをたまたま目にする機会があった。
野外ステージでの演奏のお誘いがあり、それが「ベジフォークマーケット」というイベントである。
そこで初めて、veganという言葉と、食に対するさまざまな価値観を持った人たちが居るということ、動物性素材を使わない料理やお菓子の味を知った。
その後もステージでのご縁で、veganカフェでBGMライブをさせていただく機会もあり、
そこに集う人と野菜料理のおいしさに出会い、
徐々に食べ物に対する考え方が変わっていった。
そして、ベジタリアン料理やvegan料理の店をネット検索しながら色々食べに行き、
野菜料理がめちゃめちゃ美味しい!!!!
と、すっかりトリコになってしまった。
(決めては、下北沢にあったベジカフェ「ポレポレなぎの森」の日替わりメイン、筍芋のステーキ。)
同時に、
ただ野菜を調理すれば良いのではなくて
おいしい食材を選んで、それを充分に生かしきる調理法と、おいしい調味料が鍵なんだと分かった。
野菜だけでこんなにおいしくて満足。
体がかるくなって、胃もたれしなくて、ヘルシーで、最高じゃないの。
となると、なぜ動物性の食材って食べる必要があるんだろう。
ある時とおるちゃんが、
「肉を食べる必要って、ないかもしれない。」というようなことを言った。
私も、そうかもしれない。と思った。
その時、調理師免許の資格取得に向けた勉強をしていたけど、5大栄養素を覚えたり、その一日の摂取量を覚えたり、それを記憶してその通りに実践していくことに、
果たして本当の意味はどこにあるのか、を考えていた。
世の中には、ヴィーガンやベジタリアンだけでなく、
果実・種のみを摂取する「フルータリアン」、太陽の光だけを“食べて”生きる「サン・イーター」、水すら飲まない「不食」など
超人的な生活を選んでパワフルに過ごしてる人たちが実在する。
世の中にはさまざまな食のスタイルがあって、野菜料理だけでハッピーな気持ちなんだと母に話すと、
決まってこう言われた。
「突然どうしたんだ、栄養が偏るに決まってるから、きちんとお肉を食べなさい、好き嫌いはやめなさい」
果てには、「昔のあなたに戻りなさい」とまで言われた。
でも頭ごなしにそういう人ほど
抱えてる症状がたくさんあり、
いつの時代から何故こんなに人が「摂取しなくてはならない」ものが増えているのか、答えられない。
ということに気づいた。
必須と言われる栄養素をバランスよく摂取し続けてきても、病気にかかってしまうことはある。
がんじらめになっていた世の常識って、なんだろう。
そしてとおるちゃんは、
自分が考えもつ動物たちへの愛情や、過度な肉食が環境へ与える影響、日本人の体質と肉食の必要性について、肉食を推進する社会とその陰について、
私に教えてくれた。
音楽活動のパフォーマンスが上がるという点でも。
食べるものは自分たちの体と心に如実に反映するから、思考力、想像力、表現力が上がるのを実感していた。
そういうわけで、
体が喜びを感じるままに、気持ちが赴くままに、より心地よい音を奏でる方へと
私たちは菜食生活へ移行していった。
菜食生活への移行
今から3年半前、
肉食を週に一回、そこから鶏肉だけになって週に一回、牛乳と卵を買わなくなって、
いよいよ野菜料理だけで生活することになった。
ここから私は「お肉を食べたい」と思う日が一度もないので、
私にとってお肉とは必要で食べたいものではなくて、「食べなくてはいけないもの」だったようだ。
それでも、かつては確かに「おいしい」と感じていたはずだけど、
今はパックに入ったお肉を買って調理して食べようという意欲が、もうすっかり湧かなくなったのである。
とにもかくにも、
野菜料理がめっちゃ美味しくて大好きで奥深さに魅力されてたから、
「お肉を食べたい」と思うどころではなかった。
そこで当時の仕事を辞め、
vegan料理とスイーツを勉強できるお店で働くことを決めた。
変化
移行してから半年後、
私の慢性的な手荒れがひどくなっていた。
ネットや本で調べて、
「好転反応」と「小麦アレルギー」と「水仕事によるもの」と自己診断した。
菜食生活をしながら特に食材の選び方に注意をはらい、オーガニックを徹底した。
しかし手荒れは一向によくならない。
マクロビオティックの本を読み、玄米菜食の基本と手当て、食べ物の陰陽の知識を入れて、グルテンフリーと断食を実践した。
それでも手荒れはほんの少しもよくならない。それどころか、ひどくなった。
それは
マインドボディヒーリング(TMS理論などからなる心身相関の療養プログラム)によって紐解ける症状であったのだが、
(詳しくは以前のブログ「自然に寄り添う③」にて)
当時の私にとって手荒れの原因は
「好転反応」と「小麦アレルギー」と「水仕事によるもの」と頭に納得させていたものだから、
根本解決がなされぬままに
いつまでもいつまでも症状は続くのだった。
そしてさらには
とおるちゃんが体重が激減して貧血を訴える時期があり、
料理をする私の責任だと感じてどうしようと深く思い悩んだ。
私は、veganになることで気持ちも体もめっちゃハッピーになると信じていて、
それを実践して生まれ変わった自分を周囲の人や母に見せたい。
そうやって無意識の内に、
veganというステータスに立つ自分に酔い、veganである自分とそうではない人に境を作り、veganの中の「常識」を頭に植えつけてしまっていた。
実家に帰ったある時
高血圧の薬を飲み続ける母に、
「ほら、お肉をいっぱい食べて塩分のとりすぎなんだよ。菜食に変えたらいいよ。」
と
そんな風につい菜食をオススメしちゃう私も
それなりに症状を抱えていて、
それって気づけば以前母が私に投げかけた、「常識」ってのと変わらないな
と、心で思って落胆した。
「なぜveganなの?」という純粋な質問に答えられなかったのが、この時期。
でも、このブログの「きっかけ」にあるように、ちゃんと答えはあった。
原点回帰と症状改善
そもそも私はなぜこの食生活を選び、続けているのかという大切な点だけど、
それは野菜料理がものすごく好きだから。
veganスイーツは罪悪感のない後味でこんなにお洒落で、この研究は無限大に楽しい。
自分が食べたいものを料理して研究をしたくて、菜食生活をしている。
私は
「野菜料理を食べたいんだ。」
という欲望があって、それを変にveganの枠に入ろうとカッコつけて、さらけ出せずにいた。
だから、
「なぜveganなのですか?」と聞かれると
答えられずにいた。その問自体にしっくりこなかった。
それは、veganである意味が
「健康・動物愛護・環境・宗教上の理由」のどれかに当てはまらないといけない、と思っていたから。
なので
私の中の、根っ子の根っ子の気持ちをたどると、
「vegan」という観念に基づいてスタートした菜食生活ではなかった。
こんなことを考えていた時に、
15年以上ベジ生活を楽しんでいるKazzさんのあるブログを拝見し、
非常に共感を覚えると共に感動し、すべてが腑におちた。
それが、こちらの記事。
確かに
動植物の命と地球環境の未来を大切にしようって気持ちは、その通り。
でもそれってveganの人だけが持つ観念ではなく、人として当たり前のことである。
これには、ハッとさせられる。
なぜ気づかなかったんだろう。
代わりに自分を大切にできる人は、どれくらいいるだろう。
Kazzさんが言うように、
「大人になってから自分を大事にしてない人が本当に多い世の中であり、
そして自分を大事にできない人が、
動物、環境を本質的に大事にすることはできない。」
母も私も
互いに抱え続けてきたことに長く苦しむその先で
「自分が望むものに素直になって、自分を抱きしめてあげる」ことができなくて
私の食生活の変化を機に いつしか頭ごなしの言い合いになっていたけれど、
それっていわば、戦争のはじまりである。
自分の心の穴を満たすべく
世の中を蔓延る常識や概念をひっぱってきて利用して
いつまでも攻撃しあって
それを続けることでいつ世界が平和になるんだろう。
veganになったからハッピー豊かな人生になるわけじゃないんだ。
自分が食べたいものを食べて喜びを感じて、自分の存在自体がハッピーで豊かであることに気づくことが、大事なんだ。
そんな納得が続いた時と並行して
心身相関プログラムを学び、
手荒れは
- 菜食生活への移行が生んだ症状だ
- 今までの毒素を出すための症状だ
- 本当は体が動物性のものを必要としているのに無理していて出た症状なのかもしれない
など
ずっとそんな風に理由付けたがっていたけれど、
この症状はね、
この食生活のせいじゃなくってね、
自分が過去にずっと心の底に抑えていて忘れようとがんばっていたこと、
それを見つめて、ほどいてあげることで
やっと解放できるんだ。
それがわかった時から、
ゆっくりと、でも確実に手荒れの症状が無くなっていくと同時に、
ていねいに調理することを積んできた結果がようやく身体にあらわれるようになって、
自分のからだが喜ぶものを摂取しているといいう実感と、自信が湧いてきた。
一方とおるちゃんは とおるちゃんで、
ピークを過ぎて体重が落ち着き、健康的な体で風邪をひかず、秘密のマインドコントロールで精神を整えたりして、なんだかめっちゃ元気で心配ご無用のようである。
最近パワフルだね、と呼びかけたら
とおるちゃんはごはんを食べながら当たり前のようにこう言った。
「〝何を食べて何を食べるべきでないか”は関係ない。究極、食べなくてもいい。光も空気も体に取り込んだものは、自分のイマジネーションによって、最高のエネルギーへ変換することができる」
と、割と前からあっさり自分の中で解決していた。
そして、なんだかすごい域である。
要は、
食べる種類や食べ方や概念づけは、大事なことではない。
自分の身体と心に向き合って、今の自分が喜ぶものを、感謝の気持ちをこめて手を合わせて頂くこと。
そして明日の自分の活力にすること。
そこから私は
自分をveganとカテゴライズするのをやめ、ただ「野菜料理が好きな人」と呼びかけるようになってそれだけでハッピーな気持ちになった。
わたしは
お肉やチーズを食べたいと思わないけれど、
お魚が美味しいところに行くと食べようと思うし、
作ってくれたものは有り難く頂くし、
もともと卵は好きだったから最近はたまに食べる。
てな感じのスタンスで、
体の感覚を大切にして私が好きなものを食べている。
あと、わたしは肉や魚の調理をまともに覚えず菜食になったので、単純につくることができない。
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これはあくまで私の経験から。
veganになって少しして体の不調を感じる人は、
なぜこんなに良い食生活に変えたのに健康的じゃないんだろう、と苛立つことがあるかもしれない。
veganの人達の経験談を色々見て調べて、自分を安心納得させようとするかもしれない。
でも人の体に合うものは、それぞれである。
自分をよく観察して
その食生活を選んだ根っ子の理由を見つめてあげると、
体の不調はフリーになるかもしれない。
そうして自分を大事にできるようになって、本当にハッピー豊かなveganライフを送れるようになるかもしれない。
私は
自分もとおるちゃんも、お肉をたべる人も、みんなが食卓を囲める料理を、自分で作って食べられることにハッピーである。
というわけで
私は今現在、
いわゆるveganと呼ばれる食生活をほぼほぼ、している「野菜料理が好きな人」です。
野菜餃子は神!
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