自然に寄り添う④

これはあくまで私の体験談と備忘録。
「自然に寄り添う①」から続いてます。


小松さんの講座を受講した後、
それでもなお
全身へ耐えがたい3度目の波が来た。

この時に、わたしは遂に東城百合子さんの本「薬草の自然療法」を開いた。

わたしの場合、皮膚トラブルなので
皮膚の症状に対応するページをめくっていく。

実践したらば効果的面で、
回復を大いに手伝ってくれた。
今や私が絶大な信頼をおけるパートナー、そんな素晴らしい薬草を紹介したい。
ドクダミ
ドクダミ、ちょうど今めっちゃ生えてますね。
ドクダミは漢方では「十薬」と呼ばれるすぐれた薬草。毒のある草、ではなく、その名の由来は「毒を矯める」。つまり毒を抑えるところにある。
ドクダミの臭気であるアルデハイドは菌を殺す抗菌性があり、毒下しや皮膚病の治療に広く愛用されている。

さて
そんなドクダミで手作りのクリームを作りますよ。

私独自の簡単なやり方です。

ネットで調べるともっと丁寧に作られてる方も居ますので参考にしてみて下さい。

1.どくだみの葉を4〜5枚採取してよく洗い
手で細かくちぎり、小鍋に入れる。

2.小鍋に、葉が浸るくらいの少量の水を振りかけ、火にかけて水分を飛ばす。

3.カラカラに水分を飛ばし切らないように手前で火を止め、ぬめった葉をスプーン等で細かくし、ペーストにする。

4.容器に移して好みのオイルを3〜4滴垂らし、混ぜる。

できあがり。
この葉のヌメリが重要です。

あまり長くもたないので、4〜5枚程度の葉で少量をしょっちゅう作ってます。
ヴァセリンを少し混ぜて塗りやすいクリームにするのもオススメです。

これを小さなクリームケースに入れて、
荒れて痒みのある部分によく擦り込む。

包帯をまいたり綿手袋をつけるなどして触らないようにする。

塗った部分はもちろん緑色になり、ドクダミ独特の匂いはありますが

わたしにはこのドクダミがものすごく効いたようで、手につけたらじんわり、あたたかみを感じ、痒みがピタリとおさまる。

ステロイド無しで、痒みがおさまるとは
おどろきだった。

この期間は職場の方たちに告げ、仕事をする時は必ずドクダミを塗って手袋で保護。
寝ている時、常にどくだみクリームを側に置いて、
「痒む→掻く」を

「痒む→掻こうとする手を押さえドクダミを塗る→心を落ち着けて、ストレスチェック
(どんなに些細なことでも。自分を抑圧した気持ちが無いかどうか。)」に
超ハイパー意識的に変えていきました。

小松さんの講座を受けた直後は、症状が出た時にすぐ心のチェックをすることが出来ずにいたけれど、
ドクダミは私が心と向き合う時間をつくってくれました。

超、ハイパー、意識的に。


それでも
うまくいかないことも、たくさんあります。
掻いてしまう時って本当に無意識で、無意識下で一度掻き始めてしまうとそれをストップできない。それがとても辛い。
(私の場合、考えごとをしたり、今すぐ答えが出ないものに行き詰まると無意識に掻いてます)

また、この意識的なトレーニングで症状が著しく改善する時もあれば、酷くなってしまうこともある。
薬への依存が強いと、「やはり薬でいったん落ちつかせてからの方が良いのでは」と手が伸びてしまうかもしれない。

私の経験上、3つのことを念頭におくことが大事だと思います。

①自然療法と合成薬の治療を並行して行わない。

やはり薬に勝るものものはないだろう、
そういう思いを少しでも抱いたら
自然は本当の力を発揮してくれない。
実際、どうしようもなくなって少し並行して行ったことのある私は、
ステロイドでいったん落ちついた直後、大きく症状がリバウンドし、精神的にとても参ってしまいました。

自然療法を行う時は、
自然に大きく身を委ねることが第一。
気持ちの揺らぎをうまく突いて、脳は症状を引き起こしてくるから。

②自然療法を行うことで「今までと違う自分、変わった自分」をよく観察すること。


合成薬と違うのは、
自然療法を行った部位がじわじわ温かくなること。身体の周りがまるでベールで守られているような気持ちになり、「効いている」のをリアルに体感できること。

ぜひ味わいましょう。

自然療法を行う時はこの「リアルな体感」がとても大事で、これを毎度積み上げていくといつか必ず、
「薬でとりあえず治そう」という意識は働かなくなります。

自然への絶大な信頼を抱けば、
それまで少しずつ少しずつ良くなっていたものが ぐっと治癒力が上がる時が来ます。

痒むことで「またか…いつまで続くのか」と嘆くことが無くなり、「また脳が仕掛けてきたな、その手にはのらない」と、症状を意識的にコントロールすることが可能となってきます。

気づけば
風邪を引けない小松さんと同じようになっている…!!というわけです。


万が一症状が悪くなったとしても、
「自然の力によって回復できた」というすばらしい経験を得た過去の自分が、励ましてくれます。


③慢性的な症状の原因は「心の問題」であることを忘れないこと

ボディマインドの関係性をもう一度確認。
原因は自分の身体に異常があるからではない。根本の心を解決することではじめて症状は無くなります。

よって、慢性的な症状が「この自然療法を行えば治る」と頭ごなしに直結させるのでなく、
心と向き合うための手助けをしてくれている、と考えます。

また、薬草はくすりではありません。
体質改善と予防効果を発揮してくれるもので、即効性を期待すべきではありません。

だがしかし
根気よく自然療法とボディマインドヒーリングを続け、心の解決と身体の体質改善が無事できた暁には、
あまり目を向けていなかった他の症状も気づけば無くなっていた、という相乗効果があります。

私の場合皮膚の改善だけでなく、
15年ほど悩んでいた頭痛に悩むことがほぼ無くなり、顎関節症が無くなり、ドライアイが軽くなり、回転性目眩が無くなり、まだ他にもある、そして疲れにくい体質に変わりました。


薬草を用いた自然療法を行う際は、
薬草を「くすり」ではなくて
良き「パートナー」として信頼関係を築くと
よいと思いました。


なつかしい感覚
これは「自然に寄り添う②」に書いたことだけど、昔よく感じていた、芯からじわじわ来る、あの温かい感覚ってなんだろう。

小さい子供の時はやりたいことや思ったことに体が正直に動いて、なにを見ても聞いても触っても感動があった。

それを久々に、思い出しました。

今は、自然に大きく身を委ねられた時だけでなく、
自分への問いかけが体と心にドンピシャくる時にもその懐かしい感覚があり、
それは岐路に立った際、良い感じに自分の指針になっている。
この感覚がわかる方いたらぜひ今度呑みましょう。


さて、
このドクダミ療法で一年間
一進一退を繰り返しながらも、
今現在私の手はなんと95%回復している。

その間、今までになかった部分へ(右手から左手に、顔の左半分に)転移をすることがありましたが、それはまるで脳が混乱してがむしゃらに症状を起こさせてるとしか思えず、一過性のものでした。

東城百合子さんの本の中から、
他にも色々試したことで目からウロコの連続。今後少しずつ紹介できたら。


小松さんのヒーリング講座と
東城百合子先生の教えから
深い学びの時間をいただき、
そしてこの手荒れという症状を介して、

見つめなくてはならないもの
解決しなくてはならないもの
未来に繋がなくてはならないもの

これらに気づいた貴重な経験。

本当に今だから言えることだけど
手荒れは良いきっかけだった。


これだけ書いていますが、
今まさに辛い直面に居る方、合成薬による治療で懸命に耐えている方を目の前にして
「薬辞めて自然療法をやりなよ!」と
安易にオススメするのは控えたいと考えます。
症状への悩みと、症状と心と体の関係は他人が容易に踏み入れられない、とてもデリケートな問題だから。

代わりにお勧めすること。
慢性的な症状に悩む方はぜひ、観察をしてみて下さい。
たち止まる、症状の部位に手をあてる、一時間以内から一週間前、一年前、十年前、ずっと記憶をたどって、なぜだろうと考えてみる。
人によっては、これだけで症状が緩和されることもあるかもしれません。


きっと、
それぞれが自分を観察して気づくことで、環境が自ずと用意されるような気がいたします。
出会う人、ふと舞い込む情報、適した時期。

マインドボディヒーリングを知ったり、薬草との出会いだったり、家族やパートナーとの関係を考えることだったり、
それぞれの人に適したキッカケが出てくる。

そのベストなタイミングは、人生の中でよき時に自分の手でつかむのだろうと思います。


今回紹介したドクダミの補足です。
もし試してみようという方へ。
人によっては即効性はなかったり、体質に合う合わないはあるかと思います。体の目立たないところに少し塗って試してみるといいです。
ドクダミが生えていない冬の季節は
乾燥どくだみ葉を購入して、水を加えて同じようにクリームを作りました。
しかし6月頃のドクダミが最も薬効性が高く、色艶ある生葉はより効果があると感じます。あと、採取の場所は選びましょう。

もしドクダミが手に入らなかったら、
ターメリックに好みのオイルを垂らし混ぜて塗る、というのも痒みを抑えるのに効果的でした。ただ手が黄色ーくなり、その手で触るとあっちこっち厄介な黄色い跡がのこります。…厄介です。

今月摘んだドクダミ。全草を乾燥させてます。
東城百合子さんのドクダミのページ。
イラストカットもちょっと良い感じ。


最後の章では、もう一つの薬草茶の本を参考に実践したことを少し記します。
つづく。


HAZAMA-blog

菓子屋と音楽家と日常の狭間を語る。