かみぬけて〜脱毛症記録〜

小学校低学年の頃

5歳上の兄から
「ハゲ」と呼ばれていた。

ハゲ呼ばわりされるほど
私にハゲの素質があったかというと
実際そうではなく

前方から後退していくM字の遺伝をしっかりと受け継いでいたのは、兄ご本人であった。



兄は自分の額をよく観察し
「あぁおれは素質があるんだ」と認め
そのやり切れない感情をわたくしに共有させようとしていた。


「よくよく見れば、お前もなかなかの額の持ち主じゃないか」と笑って
妹に「ハゲ」「ハゲサ」と呼びかける兄。



当時
わたしは、こう思った。



ああ
とてもかわいそうな人だな。


そしてこうも思った。



わたしは絶対にハゲないぞ。





「わたしは大丈夫だ」
この謎の確信をしながらも

〝それでもいつの日かハゲることへの怖れ〟を自ら生み出し、自分自身を縛っていたのかもしれない。

たまに
起きたらめっちゃごっそり髪が抜け落ちる
という夢をみることがあった。

それは本当に恐怖であった。



山梨に来てからも一回みた。




もし

その夢がリアルになってしまったら。



今回は 怖れと不安渦巻く

驚愕の「リアルに毛が抜けた」お話。






異変




柿の葉がみるみる落ちて裸になっていく姿を見つめながら

そういや、
わたしも最近よく髪が抜けるもんだな
と感じていた。



ある晩飯の時に、
「最近、髪がよく抜けるなぁ🐶」と
突然とおるちゃんが言うもんだから

なんだ私だけじゃないのね、やったー
「そうだね。」とその場
にっこり安心していた。



互いに長髪だから、そこらに落ちる毛の量も
なかなかだった。

それにしても抜けた。



激変


しばらくした頃
「あれ、どうしたのココ」

と背後からとおるちゃんの声。


本屋で立ち読みしていた時だった。

2020年、10月初旬
ハーフアップにしていた結び目の際、
後頭部に小さい脱毛を発見。


がーん

と、いう音は本当に脳内で鳴るものである。



しかし
立ち直るのは早かった。

これは必ず回復できる。
そう自信をもって1ヶ月を過ごし
その小さなソレを忘れるくらいになっていた。


だがしかし
もう一つ見つけてしまった。

がーん


今度は前方左サイド
分け目に近い位置に2センチほどの丸。

しょうがないから分け目を変えて、様子を見ることにした。

ここは鏡の前に立った時によく見えるから、
頭の中から忘れ去ることは難しかった。


そしてそれまで何故か気づけなかったのだが、
右側耳上から額の頂点にかけた剃りがものすごく深くなって
部分的な徳川家康になっていた。



がー…ん


『おまえもなかなかの額の持ち主じゃないか』


じゃないか

ないか

か か 
か… … k……………



即座に
大きめのヘアバンドをネット購入して
頭に巻くようになった。



アマゾンさんはここぞとばかりに関連商品を提示し誘導してくるけれど
どうせならもっと先を見据えて提案してくれよ。


というのも
小さな丸ハゲと家康ハゲはまだまだ可愛らしいもので

魔の2月
何かが一気に、マジ本気を見せてきたんだ。


とにかく、抜ける。
触れるだけで、抜ける。


そして月のリズムに従って
ものすごく抜ける。
生理の直前も抜ける。

休まる隙なく、抜けてー落ちるー


「みんなで脱すれば、こわくない!えーい」と
髪たちは一斉に「一抜けた」を始めたようだった。




この時期にどのくらいの量に減ったかというと

一束三株くらいの生のほうれん草を
通常の量に例えると、
湯掻いて萎んで小さくなった一束、の、内の
さらに一株くらいになってしまった。

って、イメージできるかな?


これはなかなか衝撃だった。



最初は、上の長い毛が脱毛部分を隠すことができていたのが、
さすがに毛が薄いのがわかるようになってきたので
買い集めたヘアバンド使用期は1ヶ月で終了。


人前に出る時は頭部を全体的に覆う帽子を被らざるを得なくなり、また新たなハゲかくしアイテムが増えていった。




闇と病み


短期間の激変に圧倒された後
ようやくここで、
多発性脱毛症、か。となった。
そうなのか。
そうなんだな。


その時期
私が「脱毛 帽子」というワードばっかり調べるから、またしてもアマゾンさんがここぞとばかりに
「お探しですか?」と医療用帽子をお勧めしてくる。

…医療用、という言葉を目にした時に


わたしは、病気なのか。と初めて考えた。



しかしこれを読んでくれる皆さんに伝えたい。
体はとても元気である。
今までで一番、総合的に体調が良いと感じるくらいに。




それでも、こんな私でも、
やはり病気なのだろうかと
喉元を触って疑った。疑うものである。


健康診断の度に甲状腺が大きいと言われ続けていたから、
もしかしたら甲状腺の疾患の疑いがあるんじゃないか、それで免疫力が低下していて脱毛が起きているんじゃないか、それで…
…。



あまり鏡にうつる姿を見ないようにして
気にしないように頑張る生活が続いた。
落ちた髪を集めて、涙した日もあった。

こわかった。



なかなか仕事場に行くのも精神的に辛くなってしまい
休みをもらって
すごくお久しぶりの病院で甲状腺の検査を受けた。




結果は

「なにも問題はない。むしろ健康。以上。」



へなへなと力が抜けた私は、


マインドボディヒーリング※の基本に立ち返って
もう一度この症状と向き合おう、と

ようやく前向きな姿勢になることができた。

過去の自分にありがとう。


(※マインドボディヒーリング=
ニューヨーク大学医学部教授ジョン・E・サーノ博士が発見し、実践されてきた、TMS理論などからなる心身相関の療養プログラム

前ブログ「自然に寄り添う①〜 ⑤」に記載)



没頭

自分がどん底から浮上できたのは
検査結果だけでなく、

「忘れるほどに何かに没頭する」時間をつくれたことだった。


同じ焼き菓子を、何度も何度も作り続けて極める。

鍵盤ハーモニカで速いパッセージを何度も何度も練習する。

野菜の写真を見ながら絵を描き、いかにリアルな色合いに近づけるか混色とタッチを試行錯誤し、納得いくまで塗り重ねる。

ひたすらフキの下処理をする。
意味もなく大根の皮をうすく剥こうとしてみる。




わたしなりの方法で
少しずつ気持ちが回復した頃

「あれ、忘れてしまえば全くこわくない」
ということに気づいた。



じゃぁあの、負のスイッチ全開ONの意識下では
何が脳内を占拠してるんだろう。

恐怖の正体って、なに。



そもそも髪を失うことが何故こわくて不安で悲しいのかを、落ち着いて考えてみた。


去ってゆく髪を惜しむ心
容姿の変貌への怖れ
周囲の目線と反応

こんなところか。


そして、何故髪が抜けたのか
を考えてみた。


すとれす?


環境変化によるストレスと言えばその通りだし
新しい仕事で少し無理をしてストレスを感じてしまったこともその通りだし

そうはそうなんだけども
でも…抜けるほどのことだったのか…??
え、そんなにか?
そんなに私って繊細だったの?



コレといった決定打はなくて
真の理由はわからない。

それならば
「脱毛症になった理由」ではなくて
「脱毛という体験が、私に何を気づかせたいのか」を考えてみようと思った。

よくよく遡って、
わたしの深いところにタッチする。
心に問いかける作業を繰り返していった。





手荒れと湿疹の時は、
心と身体の相関性を理解して原因がわかった時
明らかに体調が「良くなる!」って感触があったけれど、

今回はとにかく抜ける一方で、

最初に抜け落ちた所が徐々に生えてくるようになっても全体としての回復には時間がかかり過ぎて

目に見えて好転している感覚というのは、残念ながら無かった。


しかし
目に見える症状から、心へと視点をフォーカスすると、
髪が抜けるという一見ショッキングな出来事はいつしか
「気づきを得る貴重な体験」へと姿を変えていた。




順調にハゲていく間
支えと救いと究極の気づきは

ハゲゆく私と身近に接する人、
とおるちゃんは

〝なんら変わらない〟ってことだった。



私がハゲようがハゲまいが
私の前の彼は変わらず在り続けている。

私の髪が抜けたっていうこの事実が、
他の誰かの体調を変えてしまったり、困らせてしまうことは、無かった。


今まで
自分が幸か不幸かをジャッジしていたけれど


私ではない誰かが今を生き続けている
ただそのことが、
私の「幸せ」だと 気づいた時だった。


それならば
どこの何に、
恐怖を感じる必要があるんだろうか。


当たり前のようだけど
これが大切なことで、

「こう見られるかもしれない
こう言われるかもしれない
こう思われてこう陰で言われるかもしれない」


実際に見聞きもせずに抱いてしまう
そういった怖れや不安というのは、


他者を前にして
自分が自分の中だけで創造したものに過ぎないのだった。


それに気づけばモーマンタイ。

どんな出来事も捉え方次第で
いかようにも変わる。
変えられる。


どうせなら
希望の光と未来をイメージしていく方が、
一瞬一瞬たのしいものになるに違いない。
わたしも、わたしの周囲の人も。



究極に抜けている最中でも
気持ちはとても上向きになり、


去ってゆく髪を惜しむ心は、
去るもの追わず、執着していた過去をやさしく手放す心へ。

容姿の変貌に対して抱いていた怖れは、
変化する自分への期待と希望へ。


それらはすべて、
脱毛という体験から得た
あたらしい自分のはじまりだった。


おもしろく生きる


それではまず
この頭の状況をどうしていくか。
生えてきたところも
ハゲているところも
耐えて生き残ってる勇者も

「すべて丸刈りにしてやる」
と思った。


無償に坊主にしたくてしょうがなくなった頃、
また晩飯の時にとおるちゃんが言った。


「そろそろロン毛も飽きたなー
いっそのこと一般ウケする短髪にでもするかな🐶」




長い髪を掻き上げるその真横で、ハゲ頭は

…まてよ一般ウケだと…?

ハッとなり慌ててこう提案した。

「切らない方がいい。坊主とロン毛の方が、断然おもしろいよ」




…ぼうずとろんげ………??…

とおるちゃんもハッとなり箸を止めた。
おもしろがってる顔だった。


そこでついに

坊主にしてほしいんだ。
と頼んだら



「それが良いと思ってた」と笑って快諾し

すぐバリカンを入手してくれた。


はじまりの日


でもただ坊主だと
所々抜け落ちたところが目立つ。

剃刀も使って、ギリギリまでスキンヘッドにしてもらった。




脱線しますが、これ指宿の砂蒸し風呂の直後のロビーにて。
受付の女性をびっくりさせてしまうところでした。




脱毛すると、
坊主にしたりスキンヘッドにしたりする人も多いと思うけど

この頭を
隠すか
隠さないかの2択で迷うところです。



私は当初「ありのままを晒す」ことを考えていた。


楽だし
涼しいし
頭の形に自信がある

髪を気にする時間が無くなったし
抜け毛もないし
最高極まりない!


と思いながら
ピカピカの頭で小一時間たのしく生活していると、
すぐスキンヘッドの難点に気づいた。



①熱い。

蛍光灯の下に居るだけでじわじわ熱を感じて居ても立っても居られない。自律神経が乱れそう。きっと太陽熱は激ヤバイ。


②寒い。
急に涼しくなると途端にくしゃみが出て、寒気がする。


③痛い。
ちょっとでも頭がぶつかると、ひどく痛む。角にぶつかりでもしたら致命傷。


あぁ、
これは
ただしい体温調節をしていくためにも
頭を守るためにも

髪の代わりとして、何かしらで覆う必要があるんだな。

髪の毛の意味と有り難みがわかって、
ほんと純粋に「また生えてほしいな」と思った。




お洒落

というわけで

いろいろ経た今はヘッドスカーフというものを巻いている。


柄もシルエットも素敵です。
参考までにこちら。


いろんな事情でケア帽子を必要とする女性たちへ
こんな感じのいかがでしょう。





あとは
120センチ四方の大きいスカーフを買おうと思い、これまた巧みに頭に巻く練習をしなくてはならない。



それにしても、
これからしばらくは
無事生え揃う日までこの頭を続けていくので、
この被り物グッズがとても必要である。

私は帽子よりもターバンやスカーフが好きなんだけれど、

ヘッドスカーフと検索すると
ネット上でも商品が限られている。

アマゾンさんは
肝心な時にうんともすんとも言ってこない。
と思ったら、「お探しですか?」と、以前一瞬チェックしたフィリップスの電動バリカンを今更。



形も素材にもこだわると高価で、複数枚をなかなか気軽に購入できない。
必要としている人、たくさん居ると思うんだけれどな。


どなたか繕い物が得意な方に、
オーダーメイドお願いしたい。






そんなわけで今


私は、すこぶる元気です。

ただハゲなだけで。

スキンヘッドから10日経った今、
通常通り毛が生えてきたところと
生えてこないところの割合は
五分五分だそう。

黒、優勢にしたいですね。


その後の経過報告ができる段階になったら、
また綴ります。



駄文
読んでくれてありがとう。









補足:
ちなみに5歳上の兄は
フサフサの髪で元気にやっていることを昨年確認しました。

今ハゲの私を見たら驚愕だろう。
















HAZAMA-blog

菓子屋と音楽家と日常の狭間を語る。